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2025.08.05
会長の時間
先週に引き続き、私が中学生の頃、大分市で接した磯崎新の建築作品について話しをさせていただきます。
最初の作品は、磯崎氏の恩人であった岩田学園理事長・岩田正さんの為に作った岩田学園1号館・2号館と呼ばれる建物です。大きな片流れのシルエットが特徴的で舞鶴橋を渡る際に見えるこの建物は、岩田学園のランドマークとして現存する建物です。
岩田学園は、僕らが中学高校生の頃は家政学を教える女子高で、磯崎先生の設計による1号館・2号館以外は古い木造の建物でしたが、1980年代に岩田正氏のご子息である岩田英二理事長の代に学園が中高一貫の男子校に再編成され、その際にキャンパス全体を磯崎先生の設計で大改造しました。初期の1号館2号館を起点に1棟ごとに磯崎建築のエッセンスが表現され個性あふれる新しい教室棟、管理棟、体育館、ドミトリーなどを知的で秩序ある配置で処理し、岩田英二先生の目指すアカデミックな一流男子校の雰囲気を実現したキャンパスが生まれました。全盛期の磯崎アトリエのメンバーと構造家木村俊彦の手による素晴らしい建築群です。その後2016年に一棟だけ残っていた磯崎先生の設計によらない古い3号館の建て替えを現在の理事長であり、私の大学の建築学科の先輩でもある成瀬輝一先生から依頼があり弊社で手掛けることとなりました。
施工は岩田学園の卒業生たちの協力により竣工しました。
これは府内町のまん中に建っていた「N邸」と呼ばれる診療所兼住宅です。
1963年の作品で実質的な磯崎先生の処女作と言われています。一辺3.6m正立方体を4隅に配置した立方体を4本柱で持ち上げたピロティ形式の建物です。2階の大きな開口邸はガラスブロックで埋め尽くされ外部からの視線は完全に遮られています。屋根にも正立方体のトップライトが4個載せられ天上からの光を建築内部に落としています。
磯崎先生は師である丹下先生の作品からの脱却を目指していました。
ル・コルビュジェのモダニズム建築の日本における体現者であった丹下健三氏の一番弟子ともいえる磯崎先生ですが丹下健三の追求した日本的な美を取り入れた美しいプロポーションの構造美の建築を完全無視した4辺が同じ寸法の正立方体をモチーフとした最初の建築です。これは丹下健三との決別を意味するとも解釈できます。磯崎先生の建築には後年正立方体モチーフはしばしば登場します。
残念ながら、磯崎先生の処女作「N邸」は府内のまちなかから姿を消し、現存しません。
現在山口県秋吉台国際芸術村の一角に復刻再現されています。
次に大分県医師会館と旧大分県立図書館のお話をしたいのですが時間が大幅に超過しますので次回に回します。