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9月2日会長の時間

2025.09.05

会長の時間

今週も「建築を通して私が学んだこと~巡り会った人と建築~」の話をさせていただきます。
先週お話しした礒崎新先生の大分県立図書館の後編です。

1966年に竣工した大分県立図書館を約30年の時を経て1991年、平松守彦大分県知事のもと蔵書数120万冊規模の図書館機能と、県政資料館、先哲資料館を併設した「豊の国情報ライブラリー」に建て替える計画が推し進められ、その設計者に磯崎新先生が選抜されました。ちなみに平松守彦知事は最初に磯崎先生を見出した上田保大分市長の女婿でもありました。
1991年の初頭、磯崎アトリエの藤江修一氏と大分県の方々が突如私の事務所にお見えになられ「新大分県立図書館」の設計を磯崎アトリエと東九州設計の共同チームでやらないかと申し入れがあり、藤江さんの「デザインがどうやって生まれるかを解き明かせるよ」という言葉に魅せられ取り組むこととしました。当時我が社の東京事務所員2名と本社の主力スタッフ3名を東京に派遣することとなり、磯崎アトリエからは若手の今永氏をチーフに模型製作者を入れて4名計9名の混成チームで六本木の閑静な住宅街に位置する大俳優長谷川一夫氏旧邸を借り上げてアトリエとしました。藤江修一さんはこの時期磯崎アトリエの大番頭で私と同じ大学出身ということもあり様々なことを私に伝授してくれました。藤江さんは当時磯崎建築の中でも傑作の呼び声の高かった群馬の森美術館の設計チーフとして活躍されたばかりでした。90年代の磯崎先生はデビューから30年、プロセス・プランニングに始まった手法の変遷を経て魔術のように次々と新たな建築を生み出していました。
新大分県立図書館も旧図書館と同じビルディングタイプでありながら全く異なる手法で組み立てられています。メインの閲覧室一辺7.5メートルの純粋形態である立方体フレームを9×9=81個を正方形の平面に配し、この空間を2階に浮かび上がらせています。磯崎先生はこれを「百柱の間」と名付けました。閲覧室への導入部分は7.5メートル立方体4個分15メートルの立方体空間に天井に内接する円盤を吊り下げ壁面との隙間から天空の光が降り注ぐ空間としています。この空間を経由して階段で2階の閲覧室へと導きます。これは最初の図書館で天空の光を取り込む聖堂のような空間を経て閲覧室へと導くストーリーと同質のストーリーが再現されているといえます。岩田学園の岩田英二先生は当時私に「新大分県立図書館は磯崎の代表作になる」と力説されました。半年に及ぶ設計期間を経て工事監理にも参加することとなり磯崎アトリエの今永さんと共にわが社も2名派遣しました。

起工式で磯崎先生は30年の時を経て再び大分県立図書館の設計に携われることへの感謝を述べるとともに20世紀に生まれた鉄筋コンクリート造の建築を作る技術の粋を、コンクリートを打ちあげる技術の到達点を表現してほしいと施工者に注文されました。
現場においては異なる調合によるコンクリートのモックアップを10種類近く作って磯崎先生に見てもらったり、途中まで打ちあがったコンクリートの躯体を壊してやり直したり、閲覧室の天井は144個の天空を落とすトップライトの光を連続するつなぎ目の無いクロスボールト形状をGRGパネルで制作することとなり国内では制作できずイギリスに発注すこととなりわが社の坂本君が製品検査にロンドンまでとんぼ返りで派遣されました。
何しろ建築を構成する要素のどの部分にも既製品は存在せず、外壁に用いたライムストーン、特注のせっ器質タイル、金属建具や空調吹き出しの自立したシリンダーまですべての金属部にランダムヘアライン仕上げの無垢のステンレスの特注品、床材は分厚い無垢のフローリング、81個の立方体フレームはピン角の現場打ちコンクリート、すべてを本物で作り上げた建築となりました。
1995年2月に開館した新大分県立図書館の初代館長は私の大分上野ヶ丘高校時代の恩師、英語の宮本高志先生でした。
一方、旧大分県立図書館は、建設時の発注者大分県知事木下郁氏の甥にあたる木下敬之助大分市長が平松守彦大分県知事から受け継ぎ市の予算で耐震補強や改修を施し磯崎先生の建築資料の展示室と企画展示ギャラリーを備えた「市民アートプラザ」へと転生しました。 アートプラザでしかお目にかかれない磯崎先生の他に類のない木製建築模型群には訪れるたびに深く心を動かされます。ぜひ「建築」の本質に触れることのできる磯崎建築の展示を皆様にもご覧になっていただきたいと思います。

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