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8月19日会長の時間

2025.08.26

会長の時間

今週も私が中学生の頃に遭遇した磯崎新氏の建築作品についてお話しします。

大分県医師会館と大分県立図書館は、府内城のお堀の北西に道を挟んではす向かいに建てられていました。
この2つの作品は、先週お話しした大分のパトロネージュが磯崎新氏に設計のチャンスを与え、建築家 磯崎新を世の中にデビューさせた代表作です。

大分県医師会館は、大きなシリンダー状の塊を4本のメガストラクチャーとも言われる武骨な柱で宙に持ち上げた建築美からほど遠い不格好な建物です。磯崎先生は、この会館の依頼を受けた時、ご自身が中学の通学路だった府内城のお堀端の路のつきあたりにある 敷地に着目して、ここには門を造ろう、それも当時磯崎先生が深く感銘を受け何度も見に行った奈良東大寺南大門の様な門にしようと発想されました。 
但しそのデザインは、師である丹下健三先生の追求された日本的な柱と梁をコンクリートに置き換えた美しいプロポーションの建物ではなく、巨大な切断面をもった楕円形のシリンダーをメガストラクチャーで打上げる不格好な門の形状として表現されました。
1999年に大分県医師会館は移転新築することとなり、当時の県医師会長 吉川輝先生と副会長 島津義久先生のお許しを得て、新会館の設計を私の事務所で担当する様になりました。
大分港に面する敷地に合わせてウォーターフロントに立地する特性を生かしたデザインとし、1階には保健支援センターの検診検査機能を配置し、2階から6階は事務会議に対応したフラットなオフィス空間とし、最上階に大ホールと別府湾を眺めるホワイエを配しました。多用途の機能を重ね合わせた複合建物です。最上階の大ホールは、音響も良く仕上がりました。落成式には平松知事もお見えになり、私の設計者挨拶でウォーターフロントのことに触れた事にも関心を示してくれました。
新会館設計打ち合わせに何度も訪れた磯崎先生の大分県医師会館は本当に素晴らしい建築でした。医師会員の先生方からは、使い勝手の悪さに不評だったと聞かされましたが、医師会機能が移転した後もこの建築は別の手で保存されるものだと信じていました。
後日、磯崎先生の親友である岩田英二先生から新医師会館の様な普通のビルタイプは、磯崎先生は絶対に設計しないと辛口の批評をいただいたのも懐かしい思い出となりました。

1966年に5年がかりで竣工した大分県立図書館は大分県知事木下郁氏の助力もあって30代の磯崎先生を建築家としてはばたかせる出世作でした。この図書館には二つの設計図があり最初の設計は「プロセス・プランニング論」という論文とともに1963年に発表されました。その後磯崎先生が初の渡欧を経験されヨーロッパの建築と都市を体感される機会を経て2度目の設計に挑まれ実現したのが現在の建物です。磯崎先生が何を体感されたかはいろいろ説があって、サンマルコ広場に響く鐘の音を聴いた瞬間に空間のエクスタシーを感じただとか、サンマルコ寺院の暗い聖堂にさしこむ光に感動されただとか言われています。私も漆黒のサンマルコ寺院の聖堂に西日が差し込みビザンチン調のモザイクタイルが黄金に光り輝く瞬間に立ち会った経験があります。その光り輝くモザイクタイルに包まれた空間は忘れることの出来ない感動に満ちあふれていました。谷崎の陰影礼賛の日本建築とは真逆の光と空間を体験しました。2度目の設計で生まれた中央の天空からの光を取り込んだあたかも聖堂の様な静謐の空間のブラウジングホールとそのホールから上昇する動線で結ばれた閲覧室はプロセス・プランニング論に基づく正方形の断面を持つメガストラクチュアによって構造も設備も収められています。外観は2枚の大壁に挟まれたホールから両側に延び切断面を露出したボックス状の柱、梁からぶら下げられた2階部分が宙に浮いているこれまで見たこともない造形は圧倒的で、磯崎先生はこの作品を近代建築からのディプロマと称されています。まさしくこの作品はその後の磯崎先生のポストモダニズムを経て世界の建築のムーブメントの中心として活躍される人生の出発点となったと私は思っています。
大分県立図書館は1962年の安田臣設計の大分県庁舎に引き続き建築学会賞に輝くこととなりました。

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